花と菓子箱

 同田貫が庭を歩いていると、縁側に坐した三日月から、近くへ、と手招かれた。同田貫は言われるままにそばによって、隣にすわる。用向きをたずねる間もなく、耳のうえに花を挿された。同田貫の目のはしに、三日月の手と名も知らぬ白い花がうつり、みずみずしい花びらがこめかみにふれる。三日月はしばらく、どうにか落ち着きどころをさがしてか、同田貫のみじかい髪をもぞもぞといじっていたが、やがて己の手で花をささえたまま同田貫を見た。
「うむ」
 満足そうにほほえんで、三日月はひとりでうなづく。同田貫は、すこしばかりあきれをふくんだ心持で、ただ、満足したようでよかった、と、ただそう思った。
 三日月は、奇妙な刀だ。いや、彼を顕現させている、刀そのものが奇妙だと言うのではない。しかし、天下五剣のなかでもっともうつくしい、つまるところこの世で一等うつくしいと言われる三日月宗近、そのたぐいまれなる刀がながい時を経て生じせしめたつくも神は、奇妙な男だった。ふだんは物柔らかにほほえみ、のんびりと日をすごすばかりの気の好い男であるのだが、ふとしたときに、意図のはかりがたいふるまいをみせる。
 いま、同田貫の髪に花など挿してみせたのも、そのひとつだ。さすがに花を挿されたのははじめてであるが、似たようなことならばいままでも数えきれずあった。たいてい、同田貫がひとりで、なにをするでもなくぼうっとしているようなときに、こちらへおいで、と手招きをする。同田貫が寄っていくと、手のひらをねだり、差しだした手のひらに、ぽつりとなにがしかを置く。それは、菓子であったり、根付やびいどろの玉であったり、はなはだしいときには、虫であったりした。同田貫は虫をおそれるたちではないし、三日月が持ってくる虫は団子虫や天道虫といった扱いやすい虫でもあったので、とくにさわぎたてたりはしなかったが、短刀たちのような年端もゆかぬ子どもからならばともかく、すっかり成人した男とみえる三日月から虫を受け取るのは、なんだか妙な心地だった。
 そうして益体のあるものないものを押し付けて、同田貫が受け取ったのをみると、三日月は、ひとつ満足そうに「うむ」とうなづく。それから、「主どのにいただいたものだ」とか、「よろず屋で、おまけに付けてもらった」とか、「さわるとまるくなる虫だ、めずらしいだろう」などと言う。最後の言は団子虫に関してだが、思わず同田貫が、こんなものはめずらしくもなんともない、そこらの石を裏返せばいくらでも出てくる、と言ってしまっても、べつに無知を羞じるでも同田貫の仮借のない言いかたに怒るでもなく、ただすこし肩をおとして「そうだったのか」と言い、しおしおと去っていくばかりだった。言いすぎたと思ったので、三日月がつぎに天道虫を同田貫の手のひらに乗せて、「こんどこそめずらしい虫だと思うぞ」と言ったときには、たしかに背に星がふたつしかないのはあまり見ない、と同田貫自身にもよくわからないことをいってごまかした。
 さて、きょうは花だった。なにを言うつもりだろうと、同田貫は待ってみたが、三日月はほほえんでこちらを見ているばかりでなにも言わない。同田貫のみじかい髪では花の枝すらささえられないので、三日月はそれに手をそえたままにしている。ほかのやつが見たら、俺たちはずいぶん変なふうだろうな、と同田貫はぼんやり思った。
 だからといってなにを正すということもなく、己を見おろしてくる三日月の、ほほえんだ口もとや、藍色のひとみ、すっきりとした鼻梁、つややかな黒髪が流れるのを、じっと見つめていた。こんなふうに間近に、ぶしつけに、三日月をみることがゆるされるのは、三日月が同田貫を呼び寄せたときだけだった。運が良ければ、そのひとみに名前どおりのうつくしい三日月が浮かぶのすらをながめることができる。きょうは見られなかったから、同田貫はわずかに落胆した。
「うつくしいだろう」
 三日月がふいに笑みを深めてそう言ったとき、同田貫はあんまり三日月ばかりをみていたもので、その言葉が、三日月のことを言っているのかと思った。同田貫がああとかうんとかもごもご言っている間に、三日月は同田貫の髪から花の枝をぬきとって、ふたりの視線のあいだでゆらゆらと揺らした。そこでようやく、三日月が花のことを言ったのだと気づいて、同田貫は己にあきれた。三日月は同田貫が勘違いをして返事をしたことなど知らず、得意げにして、同田貫の手をとり、花の枝を乗せた。同田貫はいままで顔の真横にあったおかげで白いというほかはよくわからなかった花をしげしげとながめた。ほそい枝に、刀の鍔よりもわずかにちいさいほどの白い花を三輪ほど咲かせている。枝をつまみ、指先をすり合わせるようにしてくるくるともてあそぶと、あまい香りが立ち上ってくる。
 花は三日月の言うようにうつくしかったが、同田貫には、そのうつくしさが早晩褪せてしまうだろうことが無性に惜しく感ぜられた。花のいのちはそもそもみじかい、手折られたものであればなおさらにそうだ。だから、この花は、いままで三日月にもらったものたちとおなじように、菓子箱につめて手もとに置くようなこともできない。生きた虫を手もとに置けずに、逃がさねばならないのとはまたちがう。この花はもうやがて朽ちるのだ。
「気に入らないか」
 もの思いからさめると、かたわらの三日月がふしぎそうに同田貫をながめていた。同田貫は、いや、とすぐに否定した。そのままだまっていようかと思ったが、結局は言葉を継いだ。
「俺は、こういうのは、折って手もとに置くよか、そのまんまにしとくほうが好きだ」
 きれいだけど、折るとすぐ枯れるだろ、きれいだけど。文句を付ける気はないのだと言いたくて早口にそう付け加えた。しかし、言い終わってすぐに、いや、言っている途中ですでに、同田貫は、言わなければよかったと思った。もらったものに、もらっていやだったわけではないくせに、けちをつけるようなことを言っている。ただ、どうあってもなくなってしまうのがいやなだけだ。子どもの我がままのようだ。
「ふうむ」
 なるほど、と言うようにうなる三日月は、とくに気をわるくしたようなふしはなかった。同田貫の手のなかにある花に手をのべて、そっと白い花びらにふれる。その指先は花に負けないほどに白くて、うつくしかった。刀をふるう手だとは思われないほど、ほっそりして、たおやかにみえる。
「たしかに、この花は早くに枯れてしまうな。しかし俺は、好いたものはそばに置きたいのだ」
 うつくしいだろう、と言った三日月の声を、同田貫は思い出している。同田貫は朽ちる花を惜しんだが、この花はむしろ、手折られたことを本望と思ったかもしれない、と、ぼんやり思った。花のような白い指でもって手折られ、うつくしいと愛でられた、そばに置きたいと言われた、そのことを喜んだかもしれない。最後に行き着いたところが同田貫のもとであることには、文句があるだろうが。
「だが同田貫、おまえの言うのはたしかにそうだ。花は咲いた場所で愛でるのが正しいのだろう。よし」
 三日月はひとつ手をたたくと、履物を履いて庭先に降りた。そうして同田貫の、花をもたないほうの手をつかんで、おいで、と言う。同田貫は靴を脱いでいなかったので、引かれるままに歩きだすことには支障がなかった。ただ、三日月の意図がわからないのに混乱しているほかは。
「あ、え、なんだよ」
 その白さのゆえにつめたいとばかり思っていた三日月の手は存外にあたたかく、それだからというわけではないが、同田貫は混乱しながらも、その手をふりはらえない。
「あちらにたくさん咲いているのだ。赤いのもあった」
 同田貫を引きずるようにして、ずんずん歩いてゆきながら、上機嫌に三日月はそう説明した。そんな説明がほしいのではないと同田貫は思うが、ならばどうしてほしいのかと考えてもなにも思い浮かばない。
「なあ、おい、三日月さん」
「うん?」
 ふりかえった三日月のひとみに、名前どおりの黄金いろがちかりとまたたくのが見えた。思わず手をつよくにぎりかえしてしまってから、なんでもねえけど、ともごもご言った。歯切れのわるい同田貫に、三日月はそれでもほほえんで、「きっとおまえも気に入る」と言う。そうしてまたずんずん進んでいく。
 べつに、野の花は野にあるほうがうつくしいだとか、そんなことを思っているわけではない。三日月のあとを歩き、花の枝をにぎりながら、同田貫は思う。朽ちて褪せてしまうのでなければ、ゆるされるものであれば、この花だって、菓子箱にしまっておいて、いつでもながめられるようにしておきたかった。そう、この手のなかにあるぬくもりや、この時間、そして、そのひとみにかがやく、黄金いろの三日月さえも。