小娘の戯言

 油坏ひとつに火を灯したきりの暗さの中で、三成は黙然と包帯を巻いてゆく。己にではない、吉継に、である。膏薬でぬるつく手をとり、爛れた皮膚を包帯で隠してゆく。吉継はその様を、やはり黙然と見つめている。

 ***

 こうするようになったはじめはいつだったやら、曖昧で朧で定かではない。とにかく、吉継が己が身に巻かれた包帯をほどき、さて新しいものに巻きなおそうというときに、声もかけず三成が吉継の居室の障子をすらりと開いたのだ。吉継はひどく狼狽した。小袖は腰のあたりにためて諸肌晒していたし、普段は口布で隠す顔さえそうだった。膿み爛れた肌や、いびつに膨らみそのまま固まった瘤、皮膚や肉が溶け落ちた顔、どれもひとを怯ませるには十分すぎる有様だろう。
 吉継は我に返ると急いで眼を伏せ、小袖を引っ張り肌を隠した。三成の眼の奥に嫌悪やおそれが浮かぶのを見たくはなかった。腕で固くなった身を抱くようにし、何も言わず早く立ち去ってくれ、忘れてくれと願った。

 ――寒いのか、刑部

 頭の上から降ってきたのは、予想だにしない言葉だった。三成は吉継の居室へ踏み入り障子を閉めた。それでも顔を上げられない吉継をどう思ったものか、三成は先ほどよりも少し硬い声で、

 ――加減が悪いのか

 と問うた。吉継にしてみれば、加減が悪いも何もなく、なぜ三成がこうも普段と変わらぬのかということが不気味で仕方がない。吉継が三成に病の肌を晒したのはたったいちどだけ、この病が吉継をむしばみ始めてさほど時がたたぬころのただいちどしかない。そのころには、皮膚の爛れはまだ軽く、部分部分にあらわれているだけであった。もはや健やかな肌を探すほうがむずかしくなった今の様とはまるで違う。なぜ怖れぬのか、なぜ厭わぬのか、吉継には分からない。
 憐れんでいるのか、だから何もないようなふりをしているのか、と普段では考えぬようなことが頭に差し込んだ。三成は嘘や虚飾を殊の外きらう男だ。そんなことをするはずがないしできるはずもないと冷静に断ずる己を自覚していたが、怯えた口は勝手に動いた。ぬしは、と、歯を鳴らさず言うために、指を腕にひどく食い込ませなければならなかった。

 ――この様を見て、何も思わぬか

 恐る恐る視線を上げ、吉継の向かいに胡坐をかいた三成を見あげた。三成は眉宇を訝しげに顰めながら、吉継をじっと見返した。鼻の溶け落ちた顔、膿み爛れた肌、いびつに膨らんだ瘤を視線でたどり、あたりに置いてある膏薬や包帯へ目をやると、刑部、と吉継を呼んだ。

 ――なぜ小姓にやらせない?

 またも予想だにしない言葉に、吉継は体が傾ぐのを感じた。三成が、独りで巻くのは難儀だろう、呼んで手伝わせろと言って本当に吉継の小姓を呼ぼうと声をあげかけたので、袖を引いて制止した。三成は不満げに浮かせかけた腰をふたたび下ろした。
 吉継はそろりと小袖に腕を通しながら、深く息を吐いた。三成は何も思っていない。吉継にとれば、それこそ天地がひっくりかえるような、もうこれで終いだとへたり込むような出来事だと言うのに、三成にとればうっかりと声をかけずに障子をあけてしまった以外は、現状は普段と何ら変わりがないらしい。どっと疲れた。怯えていた己がとび切りの阿呆のようだ。
 手持無沙汰というふうに包帯をいじり出した三成に、吉継はようやく用件を訊ねた。

 ――少し眠りたい。膝を貸せ

 聞いて、脱力した。三成はときおり、何がいいのかこの痩せた病身の男の膝を強請って仮眠をとることがあったが、今回訪れたのもそれが目的だったとは。ますます己が阿呆らしく思えてきて、吉継はもはや倒れ込みたいほどぐったりとした。しかし、それをため息をつくだけにとどめ、あいわかった、ちと待ちやれと答えて包帯を手に取った。膏薬はすでに塗りこめてあった。さっさと包帯を巻いて、この思いのほか間抜けな男に膝でも何でも貸してやろ、そう思った。

 ――さっさと終わらせるぞ

 そう言って三成が当然のように身を乗り出してきたのには驚いた。すでに吉継の腕をとり、弄んでいた包帯をむちゃくちゃにぐるぐると巻き始めている。吉継が腕を引こうとすると動くなと苛立った声がかかった。巻き方が違うと言うとではどう巻くのだとやはり苛立った声が返った。
 おそらくは三成は、「独りよりも二人でやったほうが早く終わる」と目して手伝ったのだろうが、実際には、不慣れな三成のためにその包帯を巻き終わるまでに普段の倍以上もの時間を要し、望みの膝に頭を乗せながら、このように時間がかかるものなのだなと三成が言ったにはもはや言葉がなかった。続けられた、手が空いているときならば手伝ってもよいという言葉には、曖昧に唸ってその才槌頭を撫でてやることしかできなかった。

 ***

 それからどのくらい経っただろうか、もともと呑みこみの早い三成は包帯の巻き方もすぐに覚えてしまった。今では、吉継が独りで巻くよりも三成の手を借りたほうがずっと早いほどだ。指の一本一本に包帯を巻いていくのは己でさえ鬱陶しく感じるものだが、三成はそう感じないのか、実に丁寧にまた手早く仕上げてゆく。
「握ってみろ」
 包帯の端の始末を終え、三成が言う。言われたとおりに手を握っては開き、開いては握りと何度か繰り返した。きつくもなければ緩くもない。随分と上達したものだと思う。以前は血の道を塞ぐほどきつく巻かれるか、動かすうちにほどけるほど緩く巻かれるかのどちらかだった。
「不自由はないか」
「ん、よいよい。ぬしも上手くなったものよな」
「この程度雑作もないことだ」
 表情は能面のごとく動かないが、声にはわずかに得意げな色を滲ませている。素直なのだかそうでないのかはかりかねる男だ。
 三成の手が吉継に伸び、肩から落としていた小袖を整えてゆく。綿入れを着せられるまでされるがままになっていたのは、三成の目的が分かっていたからだった。気遣いであれば吉継は、このようなことを赦しはしない。良心からであれ悪心からであれ、見下ろされるのは我慢がならない。
 三成は吉継の衣服を整え終えると、そのまま当然のように座した吉継の膝に頭を置いた。これが三成の目的だ。包帯を巻くのも吉継の衣服を整えるのも、すべてこのためにほかならない。己のためだ。どこまでも己を中心に置く男なのである。それならばいっそすべてに勝手を通して包帯巻きなど手伝わなければよいし、衣服を整えることも吉継に任せて知らんぷりを決め込んでもよいではないかと思うのだが、三成はそうしない。
 どこまでも勝手で間抜けな男、と胸のうちで独りごとを繰りながら、吉継は傍に落としていた頭巾を拾ってかぶり、口布を垂らした。部屋の中ではほとんどかぶっていないのだが、来客があれば別だ。それは三成とて例外ではない。三成が吉継の素顔に頓着しないことと、吉継が三成に素顔を晒すことに頓着しないことはまったくの別問題だ。膿み崩れた顔を誰にも晒したくないと願うのは自然だろう。
 身をよじって積まれた書の中から適当に一冊を選び、油坏を引き寄せて読み始める。幾度も読み返した書だが、このまま一刻ほどは眠りこける男を膝に乗せてただぼうっとしているよりは、手垢の染み着いた書を読んでいたほうがいくらか有益だ。ぺらぺらと頁を繰ってゆく。こうなれば膝の上の頭は猫のようなもので、ときおり撫でてその毛の指通りのよさを楽しむだけの愛玩物になる。
 知らず書に没頭していたらしく、首筋を撫でられる感触に跳びあがりそうになった。書をどけて見れば、三成が眠たげな目をしてこちらを見あげていた。手が伸びて、口布の内側に隠した病身を撫でている。
「……起きたなら退きやれ」
「もう少し寝る」
「そうか、では寝やれ」
 三成の手を払いのけ、吉継は書に目を戻す。しかしそこに並ぶ字を読むまでには至らなかった。払った三成の手がまた伸びて、こんどは頭巾の裾やら口布やらを引き始めたからだ。ついでのように顎やら首筋やら頬やらを撫でてゆく。そのうち飽きて寝るだろうと思ったが、それにしても不快である。吉継はふたたび書から目を外して三成に向けた。
「三成、眠らぬなら退きやれ」
「今に寝る」
「今とはいつか」
「今は今だ」
 三成が何を言っているんだと眠たげな顔を顰めるが、それはそのまま吉継が三成に言いたいことだ。もうこの才槌頭を膝から叩き落として放り出し、それで終いとしたい。本当にそうしてやろうか。書を脇に伏せ、頭に手をかけたとき、口布を弄りながら三成が口を開いた。
「なぜ部屋の中で頭巾をかぶる」
 得心がゆかぬというふうに三成が言う。それはそうだろう、吉継の素顔にも頓着しない三成からすれば、部屋の中で頭巾をかぶり口布を垂らすことは奇異でしかないのだろう。吉継やほか大多数の人間からすれば明確な理由さえ、三成には片鱗すらつかめないだろう。どこまでも勝手で間抜けで面倒くさい男。手のひらで顔を覆いながら、いっそ口にしてやりたい言葉を胸の内だけで響かせる。
「……ぬしはわれの醜きを気にとめぬようだが、われはそうではないゆえな」
 ため息に混ぜるようにしてそう言えば、三成は山彦が返すように口移しに、みにくき、とぼんやりとつぶやいた。そうよ、醜きよ、ぬしのような男前にはわからぬであろうが。重ねて投げやりに言う。そのあとは沈黙が落ちた。三成は何やら考えているようだが、とろとろと瞼が落ちてきている。秀でた後ろ頭を撫でながら、その様を見ていた。鋭い眼が閉ざされ、息が穏やかになって、やれ寝たかと息をついたとき。
「小娘のようなことを、気にするのだな」
 眠たげにゆったりとそう言って、三成は息を吐いた。眠ったのだ。吉継は唖然としていた。次いで腹が立った。こむすめ、小娘か。このわれを小娘のようと言うか。ひとの心中をさらさら理解せずにおいて、ひとの懊悩を勝手に小娘の戯言に堕すとは何事か。何と腹の立つ男だろうか。大体、そう思うのは三成がひとらしい感性を一切持ち合わせないからであって、誰でもいい、三成のほかの誰ぞが吉継の言を聞いたとして、誰も小娘のようななどとは言わぬだろう。
 こんどこそ吉継は三成の頭に手をかけてごろりと転がした。膝から滑り落ちた頭が畳にぶつかってどんとにぶい音を立てる。それを聞かぬふりで油坏を持って這いずり、三成から離れた。文机に向かい、紙と筆と硯、水差しを並べる。腹が立ったときには写経に限る。三成が後ろから何だ、どうしたと混乱しきった声を出しているが無視した。そのうちに這いずってきて、勝手に膝の上に頭を納めてまた眠り出したが、吉継は、この勝手で間抜けで面倒くさく腹立たしい男の額に、馬鹿とふた文字、くろぐろと印すにとどめておいた。