I wanna be your dog
おまえにしか頼めないと彼は言った。
喧騒が遠くに響く廊下を歩きながら、パウリーは考える。
その言葉に偽りはないはずだ。彼には嘘をつく理由がない。パウリーは、彼がたとえそう言いそえなかったとしても、彼に頼まれたというだけで、どんなことでも引き受けただろう。だというのに、「隠してある設計図を『だれか』にチラつかせて、ほうり出して逃げろ」。パウリーはこの任務を、傷すら負わずに終わらせていいと、彼は言った。
おまえにしか頼めないという、信頼ではなく、単に事実から導き出された言葉にさえ高揚するパウリーに対して、彼はそう言った。
彼がこの「頼み事」をほかの社員たちに任せなかった理由は明白だ。それは、パウリーが生まれてからいままでずっと、このウォーターセブンで生きてきたからだ。敵である可能性がもっとも低い、それだけだ。
彼は、ひとつの会社、ひとつの街以上のなにかを背負っている。一連の事件でそれはもはやわかりきっていたが、事ここに及んでも、彼はだれかと重荷を分け合う気がない。狙われる理由を明かさない。囮になることを頼みながら、すぐに逃げろと言う。命を狙われるほどに重大なもの、敵が狙う設計図を、ひとりで抱え込んで、死ぬ覚悟すら腹に定まっているように見える。
いや、彼はすでにだれかと重荷を分かち合っているはずだ。そうでなければ、襲撃されまともに動けない彼が、設計図を抱え込んだまま、苦肉の策とでもいうように、偽物なんぞを差し出すはずがない。見破られる可能性を考えないはずがない。彼にここで死ぬ覚悟すら見えるのは、”本物”がどこか安全な場所にあるからだ。どこか、――彼が、消去法の末に選んだわけではない、信頼できる人間のもとに。
おれはせいぜい、「取ってこい」の犬だな。パウリーはわずかに苦く、そう考える。命じられるだけ、逃げろと言われる程度の、忠実なことだけが取り柄の犬っころだ。蹴とばされないうちにしっぽを丸めて逃げることを望まれている。
社長室のドアノブをつかむ。開いた扉の先は闇に沈んでいた。足を踏み入れる。パウリーがいまこうしている姿を、だれかがどこかで見ている。なんの気配もない。それが不気味だった。このままなにごともなく、彼の言った暗証番号で金庫を開けて、偽物の設計図を手に、彼の寝室へ戻れるような気がしてくる。けれど、緊張はパウリーの背筋を凍らせている。なにも起こらないはずがない。実際、彼は撃たれたのだ。
そのことを考えると、全身が炎であぶられるように熱くなった。死ぬところだった。彼は死ぬところだった。あの、偉大なひとが、海列車が走った日に泣いていたひと、若くしてウォーターセブンの造船所をすべてまとめたひと、世界屈指の造船技術を持つ職人。どう言葉を尽くしても言いあらわせないほどのひとが。怒りが渦巻く。
おれは、
言われたとおりに床から金庫を探り出しながらパウリーは考える。おれは犬でいい。まだ。あなたが便利に使える犬でいい。だから。声がする。奇妙な人影が立っている。ふたつ。
だから、おれは、あなたの敵に骨が見えるまで噛みついてやる。