Schnee in die Wunde streuen.
「ボス!」
「キャプテン!」
けたたましくノックされる扉に耐えかねてひらいたさきで、ふたりの少年が妙に顔を輝かせて声を張り上げる。おそらくローを呼んでいる。ローはふたりのボスでもないしキャプテンでもないし、そう呼ぶことを要求したこともあるいは許したことすらなかったが、このふたりはそれでもどうしてもローをそう呼ぶのだった。
ローは足に力を入れて、ことさら居丈高にみえるように立った。ふたりよりもずっとちびで、背中に怯えたシロクマが張り付いている状態では、とても無茶な話ではあったが。
「毎日うるせえんだよ。二度と来るなって言ったよな」
ふたりは視線をうろうろさせながら、ごまかすような笑みを浮かべ、背負っていた薪をさしだすようにローの足もとへ置いた。
「いやでも、寒いですし!」
「必要でしょ? キャプテン!」
「キャプテンじゃねえ」
そうやって拒絶するようにみせながらも、薪を蹴飛ばしてやれないから、このふたりはいつまでもここへ訊ねてくるのだろう。ローがベポとともに住んでいる、もとは無人の廃屋だった家へ。
実際、薪は必要だった。いくらあっても足りないくらいだ。しかし、それはおまえらもだろうと言うことも、ふたりが貢ぎ物のように持ってくる物資をかえすことも、いまのローにはできない。自己犠牲は嫌いだと、切って捨てることも。
苦々しい思いでローは、ローを守ろうとしているのかローの小さな背にその巨大なからだを隠そうとしているのか判然としないシロクマ、ベポに命じた。
「ベポ、運び入れろ」
ローの命令にこたえ、ベポはいつもよりすこし細い声で「アイアイ」と返事をすると、ふたりがかりで背負ってきた薪の束を、ひょいひょいと持ち上げて家のなかへ入っていく。そしてローは、なにやら期待しているらしいふたりに何度めかの「もう二度と来るな」という言葉をかけて、面前で扉を閉ざした。
ローはふらつく足取りで寝台を目指す。ベポが手助けしようかどうしようかと考えているのがわかるが、大丈夫だと言うちからもなかったし、大丈夫でもなかった。発熱、倦怠感、関節の痛み、それらは珀鉛病の症状で、薬があろうと消えはしない。
寝台にたどり着いて、ローは倒れこんだ。ベポがもう耐えきれずに声をあげる。ロー、ねえ、大丈夫? このシロクマの、そういうところが、なぜかあのひとに似ていて、ローは苦しくなる。
しばらくぐったりと倒れていると、少しは気分がましになった。熱もいくらか下がったような気さえする。
「ベポ」
ささやくように呼びかけても、ベポはしっかり聞き取って、寝台のそばに寄ってくる。真っ黒い目は心配のあまりかうるんでいた。腕をようよう持ち上げて、額のあたりを撫でる。ぬいぐるみのような感触。
「心配、しなくていい」
だって、とか、でも、とかを呑み込んでいるらしいベポの顔がくしゃりとゆがむ。何度となく繰り返したやり取りで、ベポはローの病気に対して何もできないと思っている。ベポのおかげでローは生きのびているのに、そのことを何度言っても、ベポは納得しないようだった。
たぶん、ベポにはあいつらがいたほうがいい。病人とふたりきりで、こんなふうに閉じこもるから、落ち込み癖のあるらしいベポは落ち込んでしまうのだ。やかましいあいつらがいれば、ベポの気分も上向くにちがいない。
あいつらを受け入れることができないのは、ローが病人で、万が一あいつらに裏切られたときに、自分もベポも守れないからだ。
「さかな、取ってこい、そろそろ、なかっただろ」
ベポは魚とりが得意だ。シロクマだけあって、凍るようにつめたい海や川をものともせずにもぐり、魚を何尾も持ち帰ってくる。捌いて干して、それらがローたちの貴重な食料になる。
「でも、ローが、」
「おまえがいたって、どうにもならない」
うつむくベポにかけた言葉は事実だったが、それでも吐き出すときに苦い味がした。
「……そうだね」
ベポはがっくりとうなだれて、うなだれたまま、魚籠を取りに行った。魚籠と言っても、本来は背負い籠だったろうものを、勝手に魚籠にしているだけなのだが。とにかくベポは魚籠を背負って、とぼとぼと家を出て行こうとした。その背中に、ローは声をかけた。
「うまい魚、取ってきてくれ」
ぎこちなく振り向いたベポはぱっと顔を明るくして、何度もうなずいた。
「いっぱい、いっぱい、取ってくるね! 待っててね、ロー!」
飛び跳ねるようにしてベポは出て行った。その単純さに、思わずローは笑ってしまったが、ほのぼのとした空気は長くは続かなかった。藁のうえにシーツをかけた粗末な寝台で、ローは心臓に刺しこむ痛みを感じ、声もなく身もだえた。ぎゅっと閉じたまぶたの裏でちかちかと白い光が舞う。
このまま死ぬのか、と一瞬考えたが、怒りがふきあがった。そんなことは許されない。絶対に許されない。ローはわずかに手をかかげて、能力を発動させた。
「ROOM」
全身がつぶれるような痛みとともに、ローを中心にして、薄青い球があらわれる。大きさはローのちいさいからだをやっと覆う程度で、それで十分だとわかっていた。スキャン、脳裏に内臓や筋肉を蝕む白い金属が見える。それらを、ROOMをちいさくしながら漉しとるように外へ引っ張り出す。疲労と吐き気に脳が揺すぶられているような心地がする。手のひらのうえに浮かんだROOMのなかで、珀鉛がわずかにきらめいた。
枕もとに用意している小瓶へ、珀鉛を流し込む。本当に小さな瓶で、せいぜい親指ほどの太さしかないものだというのに、何度も処置をしてローから取り出したきらめく珀鉛は、底を覆うほどもない。こんなわずかなもので、ひとが死んだり苦しんだりしていることがローには歯がゆい。瓶をふると、ちらちらと虹色が踊る。うつくしいと思う。忌まわしいのは金属ではない、フレバンスを滅ぼしたのは珀鉛ではない。どちらも人間の所業にすぎない。
つらつらと考えているうちに、シーツに吸いつくようなからだの重みと疲労が、ゆっくりとローを眠りへと沈めていった。
目をさますと、とてもからだが軽いことに気づいた。発熱がおさまっている。ローは寝台を出て、ストーブの火が消えていることに気づいた。まだ部屋にはあたたかさが残っていたが、もうしばらくすればすっかり冷えてしまうことは間違いない。それでもローは、火をつけようという気が起きなかった。消えたものは消えたものだ。しかたがない。
はだしのまま扉を開けると、外は銀世界だった。月の光を反射して、あたりは珀鉛にも似た輝きに満ちている。そのまま飛び出して、ざくざくと足あとを刻んでいく。だれもまだ踏んでいない雪はローの足の下で平たくつぶれていく。ひざまで沈んでは足を抜いて、どんどん進んでいく。行きたい場所があるような気がする。あの道の向こうで、だれかが待っている。
そうやってまた進んでいこうとすると、急にだれかの気配が後ろにあらわれて、ローのわきに手を差し入れ、思いっきりかかげた。
「ロー!!」
息が止まるかと思った。顔が見たくてじたばたすると、するりと前後をまわされた。へたくそじゃない笑顔、へんてこな化粧、真っ黒いコートに赤黒いコイフの、ローの会いたかったひとだった。
「コラさん?」
「コラさんだぞ!」
そのひとはローを雪のうえにおろして、なぜかピースをしながらそう言った。ローは慌てて、ハートのシャツをさぐる。怪我をしているはずだった。けれど、シャツには穴ひとつなく、血のりの一滴も見つけられなかった。だめだ。気づくな。
「遅くなってごめんな」
抱きしめられて、煙草のにおいがして、ローはそのまま泣いてしまった。遅いんだよ、ずっと待ってたのに。嗚咽のはざまでそう責めて、ごめんな、となだめられる。のどが苦しい。
「いいよ。ちゃんと約束守ってくれたから、許す」
鼻をすすりながらローがやっとそう言うと、よかった、と笑顔になる。ローは大きな手をつかんで、さっきずんずん進んできた道を戻ろうとする。ローの背後に、足あとはひとりぶんしかない。それでもつかんだ手はあたたかい。
「こっちに家があるんだ」
「おっ、見つけといてくれたのか」
嬉しそうな声がする。
「狭いし寒いし、しゃべるシロクマがいるけど、びっくりして転ぶなよ」
へえ、と感嘆したような声。
「ロー、友達ができたんだな!」
ぷっつりととぎれる。
目をさますとあたりは真っ暗で、ベポの寝息が聞こえた。ローは駆けだした。気づくな。気づくな。扉を開けると、凍てつく寒さがローに襲いかかったけれど、それでもローは足を踏み出し、息さえ凍る銀世界に立った。五歩踏み出して、自分がいま付けた足あとのほかになんのしるしもないことに、気づいた。
あのひとが、ここに来られるわけがない。
オペオペの実を奪取するときに負った傷だけで、ヴェルゴにやられた傷だけで、それなのに、ドフラミンゴの銃弾は五発。たくさんの血を失って、傷を負って、それでも笑って大丈夫だとローに嘘をついたひと。ローがこのとなり町で待ちつづけているひとは、永遠にあの道の向こうから来ない。
どっと涙が込み上げて、ローがひきつるような声でもらした悲鳴は、雪に吸い込まれてだれにも聞こえなかった。
あたりが涼しくなった気がして、ベポはうっすら目をさました。今日は魚を取りに行って、帰ってきたらローは眠っていた。起こさないようにぜんぶの魚をローが教えてくれた方法で捌いて、吊るせるものは吊るし、場所がなかったものは家の裏の雪に埋めてある。ずいぶん疲れたので、ベポは早めに寝たのだ。
なのに、なぜ起きたんだろう、ともにゃもにゃ考えて、ふと、これではローが寒いのじゃないか、と気づく。ローは小さくて、毛皮もないはだかんぼうだ。シロクマのベポが涼しいのだったら、ちっちゃなローは凍えているんじゃないかしら? 思い至った瞬間にベポは跳ね起きて、隣の寝台をのぞいた。そこにはだれもいなかった。思わず毛が逆立った。ローはどこへ?
ベポはローの名前を呼びながら部屋のなかをぐるぐる回り、回っているあいだに、外へつづく扉が開いていることに気づいた。涼しかったのはこのせいだったのだ、と、見つからないローが寒くないように扉を閉めようとしたときに、ベポは外でうずくまっているローに気づいた。
「ロー!」
ベポはびっくりして跳びあがった。ちっちゃくて、毛皮を持たないローがそんなところにいたら、あっという間に凍ってしまう。ベポは急いでローを抱え、家のなかに入れた。そしてぎゅっと抱きしめて、ちいさい手足を毛皮に埋めるようにしてあたためた。
「ロー、なにかあったの? あんなところにいたら凍っちゃうよ」
ベポの呼びかけに、ローはうつろな目をして応えなかった。ただ、頭をぐっとベポの胸に寄せる動きがあって、ベポはローの頭にあごをつけた。どこもかしこもつめたく冷えてしまったローが、少しでもあたたまるように。
そうやって、しばらくローを抱きしめたままでいると、ぽつんと落とすように、ローがなにかつぶやくのがベポに聞こえた。まるで涙みたいにじわっとあたたかくて、さみしい声だった。それだけで、ベポはローがだれかを捜していたんだとわかった。ベポもゼポを捜していたからわかった。さみしさが伝播して、苦しくて、ベポはローの頭に頬ずりした。
「会いたいね。会いたいね、ロー」
ローはぎゅっと縮こまって、なにも言わなかったけれど、それだけでベポにはわかった。
いつかおれたちふたりが、会いたいひとに会えますように。
願ったことが叶うはずもない世界で、ベポは一心にそう祈った。