Katzchen

 ざり、ざり、コラさんのおおきな舌で毛づくろいをされるときに、ちょっとまえまではたやすくころころ転がってしまっていたが、いまはもうそうならない。おれはすこしずつだけどおおきくなっている。コラさんがまっくろなおれのあたまのてっぺんからしっぽのさきっぽまで、すっかりつやつやのぺかぺかにしてしまうまで、すました顔をしていられる。
 たまに、コラさんは力加減をまちがえる。コラさんはおれの何倍もでっかいねこだから、そのぶん力もすごくつよい。だからちょっとまえ、おれがまだちいさかったころには、毛づくろいのたびにおもちゃみたいにころころころころ転がされて、コラさんのことを攻撃してくる敵だとおもっていたほどだ。あのときみたいにかんたんに転がりはしないけど、たまにコラさんが力加減をまちがえたとき、おれはころんとひっくり返る。コラさんはあわあわして、ごめんな、ごめんな、って言いながら、おれの顔をざりざりなめる。おれはもう慣れっこだし、からだのつかいかたもおぼえたから、ちょっと転がったって痛いことなんてない。コラさん、またやったな! って怒ったふりをすると、コラさんはおおきいからだを縮めてしょんぼりしてしまう。おおきいからだをどんなに縮めてもやっぱりおおきいコラさんが、しょんぼりからだを伏せるから、しかたないなってふりをして、ももいろの鼻におれの鼻をよせて、仲直りをする。コラさんはぺったりしていた金いろの毛並みをぶわっとふくらませて、いっそう熱心におれの顔や、鼻先や、耳をざりざりなめて、ごめんな、もうしねえから、って言う。コラさんはドジっ子だから、きっとまたするに決まってるけど、おれはえらそうに、そうしろよ、なんて言ってみる。
 きょうは、コラさんは力加減をまちがえずに、ゆったり毛づくろいが終わった。鏡がないからわからないけど、おれはきっといまあたまのてっぺんからしっぽのさきっぽまで、つやつやのぺかぺかで、ぼさぼさだ。コラさんは毛づくろいが下手なんだ。なんでかわからないけど、毛並みを逆立てたり、ぺしゃんこにしたりしてしまう。なんでドフィみたいにうまくできねえのかなあ、ってたまに首をかしげてるから、わざとじゃない。このぼさぼさの毛並みのせいで、コラさんの兄ねこのドフラミンゴ(コラさんはドフィってよぶ)だとか、ドフラミンゴの”臣下”だとかいう、ブラッシング中毒のヴェルゴだとかに笑われたり、勝手に毛並みを”ちゃんと”されたりするけど、おれはコラさんがしてくれる毛づくろいがすきだ。コラさんには言ってないけど、わかってるとおもう。だって、おれが毛づくろいしてほしいときは、ぜったいにコラさんのところに行くんだから。
 コラさんは、ひと仕事おえて満足したって言うみたいに伸びをして、あくびをした。おひさまがコラさんの金いろの毛並みをきらきらかがやかせている。たぶん、コラさんは、世界でいちばんきれいなねこだとおもう。毛並みはちょっとねじれていて、ぼさぼさしてるけど。ぼんやりながめていると、コラさんがおれを呼んだ。ひと眠りしようぜ、のお誘いだった。いつもだったらすぐにコラさんのおなかのあたりにもぐりこんで、ちびっちゃいこねこみたいに寝るところだった。でも、きょうはそうしたくなかった。計画があるのだ。
 おれは寝るために横たわったコラさんによじのぼって、金いろの毛並みをさりさりなめた。コラさんが、なにしてるんだ、寝ようぜっておれを呼ぶ。なにしてるんだって、毛づくろいに決まってる。背中とわき腹のあいだくらいのところのやわらかい毛並みを、ちゃんとながれに沿ってさりさりなめていく。きっとおれのほうがコラさんより毛づくろいはうまくなるとおもう。そしたら、コラさんは、すごいなロー! ってほめてくれる。コラさんはおれがなにしたって、すごいなってほめてくれるけど、コラさんができないことでもすごいことができるんだって見せたい。まずは毛づくろいだ。おれがコラさんよりも毛づくろいがうまくなったら、コラさんがおれの世話をしてくれるだけじゃなくて、おれがコラさんの世話をできるようになる。そうしたら、コラさんにはおれが必要ってことになるだろ。そしたらきっと、ずっといっしょにいられるんだ。さりさり毛並みをととのえていると、コラさんのにおいがとてもちかくてあたたかい。せなかにおひさまがあたってるせいだ。おれはまっくろだから、ひのひかりをきゅうしゅうして、あったかくなりやすいんだ。さりさり、さり、さり、こらさんのこえがとおくからきこえる。すごいな、っていってくれてるのかも。そうだったらいいのに。


 おれのからだに乗っかっていたローが、わずかに重みを増した。耳を動かしてそっちに向けると、ぷうぷうとかすかな寝息が聞こえてくる。笑ってしまいそうになるのをこらえるのでひと苦労だった。からだを揺らしたら、寝落ちたローをさらに落としてしまうだろう。からだをねじり、すべらせるようにしてローを動かし、後ろ足で受け止めた。いつもねむるときのようにくるんと腹に抱え込む。寝顔をのぞきこむと、真っ黒い仔ねこのちいさい口から、やっぱりちいさい舌がのぞいていた。ふ、ふ、ふ、とからだをゆらさないように笑って、起こさないようにやさしく、やさしく、ちいさな額をなめてから、寝心地がいいように体勢を調節した。ローはちょっとのあいだもそもそしていたが、おれの胸のあたりに鼻先をうずめると、満足したようにふうっとくすぐったい息を吐いて、またぷうぷうと寝息をもらしはじめた。そのすこやかなようすに、おれはなんだか鼻の奥がつんといたむのを感じた。
 ローは、すこしまえにとつぜん現れた仔ねこだった。いまもちいさいけれど、そのときはもっとずっとちいさくて、そのうえやせっぽちで、そのへんに落ちている小枝と見分けがつかないくらいだった。顔もからだもべたべたに汚れていた。このまま、おおきくなれずに死んでしまう仔ねこだ、とそのときおれはおもって、それがいやだったから、必死でローの世話をした。といっても、たいしたことじゃなくて、ふつうのことをしただけだ。なめて毛づくろいをしてやったり、飯をさがしたり、さむくないようにいっしょに寝たり。おれはなにしろ塀から落っこちちまうようなドジねこだから、なにもかもぜんぜんうまくはやれなかったけど、ローがつよい仔ねこだったおかげで、おれはローを死なせずにすんだ。いまでは、ローは小枝なんかとまちがえようがないくらいにふっくらして仔ねこらしくなった。青い目もいずれ、べつのいろに変わっていくんだろう。
 そしたら、おれなんかもう、いらなくなっちまうなあ。
 喜ばしいことなのに、それをおもうとおれはなんだかかなしくなってしまう。きっとローは、りっぱな黒ねこになって、巣立って行くことだろう。きょう、おれの毛並みをととのえようとしてくれたみたいに、自分の毛並みもととのえられるようになって、そうしたら、おれなんか必要なくなっちまうんだろう。こんなふうにいっしょに寝ることもなくなって、ひょっとしたら、会うこともなくなるのかもしれない。
 でも。まだまだちいさい仔ねこのローを胸にかかえて、おれはおもう。こうやって、おれの胸にすっぽりおさまっちまううちはまだ、コラさんのローでいてくれるよな。