蛇いちもんめ

 しまったと思ったときにはすべて遅かった。崩れてしまった体勢で、それでもなんとか岩の地面を転がって着地の衝撃を殺したが、ほとんど効果がない。砂ぼこりをあげて叩きつけられた右半身が、骨が、一瞬の間をおいて痛みを発する。しかし、そんなことには構っていられなかった。ノノウは、痛みを叫ぶ体をどうにか御して身を起こし、周囲へ視線を巡らせる。
 求めていたものはすぐに見つかった。倒れ伏した少年の華奢な体、薄闇のなかでもわかる、白っぽい地面に、どす黒く広がりはじめているおびただしい量の血液。やった、その残酷な安堵が痛みさえ消してくれる気がする。
 と、少年のあたりでかすかな光がともるのが見えた。情報には医療忍者とあった――傷を癒そうとしているのだろう。むだなことだ。少年の腹から潜り込んだノノウのチャクラメスは、確実に肝臓までを切り裂いた。狙いどおりに太い血管を断ち切ることができていたなら、断末魔の苦しみを減らしてやれたものを。少年と空中でぶつかり合った刹那、その手にやどったチャクラメスの光が、予想外にかき消えたことに気を取られたばかりに、生殺しの苦しみを与えてしまった。
 上から与えられた情報によれば、少年の歳は十四、岩隠れと木ノ葉隠れのあいだで二重スパイを働いていた、という。脅されたのだろうか、それとも、己にならばできるとうぬぼれたのだろうか。わからない。わかる必要などない。ノノウの目的はそこにはない。五年まえに"家"を去って行ったいとしい"息子"が、"家族"のためにみずから犠牲になったと知ったときからノノウは、彼を連れ帰るためならばなにをもいとわないと決めた。たとえそのために無関係の少年の命を奪うことになったとしても、思いは変わらなかった。
 けれど、徐々に弱くなっていく掌仙術の光に、罪悪感がないわけではない。年のころはノノウが"家"に残してきた子どもたちと似通っている。ごめんなさい。胸のうちでにがくつぶやく。ごめんなさい。でもわたしは、どうしても、やらなければならなかった。
 ノノウは印を組み、みずからの手にも少年とおなじ掌仙術の光をやどして傷ついたからだにあてた。もうそろそろ、ノノウがナニガシという偽名で属している班のふたりが追いつくはずだ。言いわけを考えなければならない。情報源となる間者を、みすみす殺してしまった言いわけを。しかし、それはそうむずかしいことではないだろうと思われた。少年は強かった。能力の高さが道を誤らせてしまったのかもしれないと思うほどに。三人組で追いかけていたのでなければ、おそらく追っ手を振り切って他国へ逃げ込むことさえ可能だっただろう。ノノウも、さきほどの戦闘で殺されていてもおかしくなかった。勝利は、少年の未熟さか、もしくは運がノノウに味方してくれたおかげだ。
 からだの痛みが失せていくと、ノノウの胸に、湧き上がってくる喜びがあった。これで、これでようやくあの子を"家"に連れ帰ることができる。あれから五年もたってしまった。あの子はどれほどの苦渋をなめたことだろう。五年まえのあの日、みすみす行かせてしまったことを詫びたかった。みずから望んでゆくのだというやさしい嘘を、信じてしまったあさはかさを悔いていると知ってほしかった。いや、そんなことよりも、五年ものあいだひとりぼっちで、だれでもない人間として生きたあの子を、一刻も早く抱きしめて、"家族"たちのもとに連れ帰りたい。ノノウは約束を守った。もうそれができるはずなのだ……
 そのときふと、知った気配を感じて、ノノウはいつの間にかかみしめていたくちびるをほどき、ため息をついた。
「まさか、アナタがわたしの監視についていただなんて」
 首だけで振り向いたノノウの視線のさきに、音もなく人影があらわれた。闇にしずむような黒く長い髪のなかに、あやしい笑みをたたえた白いかんばせが浮かんでいる。そこにいると意識しただけで、冷たい手に心臓をつかまれたような心地になる。
 大蛇丸だ。
「監視だなんて。見守っていてあげたのよ」
 歴戦の忍びのものとは思われぬたおやかな指が、ひらひらと踊る。ノノウはこのおとこが嫌いだった。あの慈悲深い三代目火影の弟子だというのに、大蛇丸はおそろしいほど非情で、冷酷だ。師である三代目火影と真っ向から対立しているダンゾウの右腕となって動いている理由は、そこにあるのかもしれないと、ノノウは考えていた。
 歩み寄ってくる大蛇丸の気配を感じながら、ノノウはくちびるをなめ、言葉を継いだ。
「どうか早く、わたしが約束を守ったことを、ダンゾウさまに伝えてください。わたしが、あの子を早く任務から呼び戻してほしいと言っていたことも」
 大蛇丸はノノウの発した言葉を吟味するように、首をかしげてノノウを見た。その薄いくちびるから笑みが去らない。この状況を楽しむかのような大蛇丸の態度は、ノノウをいらだたせた。しかし、それをおもてに出すわけにはいかない。忍びとしてあるまじきことであるし、ノノウのいらだつ態度は大蛇丸をおもしろがらせるだけだ。大蛇丸はそういうおとこだった。ノノウは視線を落とし、平らかに聞こえるよう願いながら言った。
「お早く。岩隠れの忍びがふたり、もうすぐここへ来ます。わたしがアナタと接触しているところを見られては」
「来ないわよ。殺しておいたから」
 一瞬、ノノウは意味がわからずに呆けた。地面に落としていた視線をあげる。淡い月明かりの助けを得たノノウは奇妙なことに気づいた。大蛇丸は"根"の任務服ではなく、見慣れない装束を身にまとっている。忍び装束ではあるが、腰に藤色の縄のようなものを締めたその姿は、一種異様なもののようにみえた。
 殺しておいた。
 その言葉をようやくのみこんで、ノノウは思わず声をふるわせた。
「彼らを殺す必要はなかったはず。なぜですか」
「なにを怒ることがあるの。どうせ敵でしょう、戦いになれば殺す相手じゃない」
 大蛇丸が笑みを深めて言う。ノノウの反応をおもしろがるような言いぐさに、怒りで叫びだしたくなる。ノノウとて、必要とあらばあのふたりを殺すだけの覚悟はしていた。どうせ敵、たしかにそうだ、けれどそれ以前に彼らは人間だった。生まれた里、信じるもの、仕えるあるじがちがうだけで、おなじ人間だった。それを、幼子がたわむれに虫を殺すかのように無意味に殺してしまってよいはずがない。
「いまは平時です、こんなことをダンゾウさまがご指示なさったとおっしゃるのですか」
「『ダンゾウさま』ねえ……」
 きつくにらみ上げるノノウを、笑みを消して酷薄に見下ろしてから、大蛇丸は腰の物入れからなにかを取り出した。ノノウはとっさに身構えたが、激しい戦闘とそれにつづいたチャクラの消費のせいで、からだがいうことをきかない。反射的に持ち上げた腕に、なにかがあたり、ばらばらと散じて落ちた。空を切ってすべり落ちたそれは起爆札にしてはぶ厚い感触、ノノウが注意深く腕をほどくと、そこには写真が散らばっていた。写っているのは。
「……カブト」
 そう、それはノノウがダンゾウに頼み込んで手に入れた、彼女が取り戻そうとしている"息子"の写真たちだった。あれもこれも、見覚えがある。少しずつ成長していくカブトの姿を見て、どれだけ心なぐさめられたことだろう。
 大蛇丸がささやくように言う。
「あなたはそれを、カブトだと思っているのね」
 一瞬、胸にさした不吉のかげを、ノノウは払いのけるように声を上げた。
「大蛇丸さま、なんのためにここへいらしたのです。わたしをもてあそぶためですか」
「もてあそぶどころか。わたしはアナタに真実を教えるためにここにいるのよ」
 誘惑する蛇のような笑みと慈愛に満ちた声とが混じりあい、ノノウは頭のどこかでいますぐにここを去るべきだと叫ぶ己に気づく。しかしその声に反して、ノノウはそこにとどまり、なかば問いかけのような視線と沈黙とを大蛇丸に返した。大蛇丸が虫けらをあわれむような眼でノノウをみる。
「ノノウ、わたしはね、アナタが自分で気づくんじゃないかって、期待していたのよ」
 残念だわ、とても。そうくちにする大蛇丸は、言葉ほどに落胆しているようすはない。むしろ、楽しんでいるように見える。大蛇丸は楽しんでいる。いったい何を? 気づく? いったい何に? あの子が、みずからの意思で家を去ったのではないということに? ノノウの呼吸が浅くなる。背に張り付くのはおそろしい予感だった。なにかひどい、ひどいまちがいを犯してしまったかのような予感が、ぞわぞわと背筋をしびれさせる。
 と、湿った咳の音が響いた。ノノウはわれに返って音のみなもとへ目を向ける。少年はまだ生きている。どうやら少年は医療忍術においても卓越した能力を持っているらしい、しかし、おそらくは血のからむ弱弱しい咳の音、つづく喘鳴から察するに、苦しみをいたずらに伸ばすことしかかなわなかったようだ。とどめを刺してやらなければ、ノノウは思う。殺せという命令だった。長く苦しめるのは無為だ。せめて苦しみを断ってやらなければ。
 しかし、よろめきながら立ち上がろうとするノノウを、大蛇丸はなにかを押し付けて制した。それはぽとりと落とされ、大蛇丸は死に瀕した少年へ歩み寄っていく。
 落とされたものを見下ろす。それはまた写真だった。たばねられたそれを、ノノウは手に取る。一枚めには、緊張した面持ちの、まだ幼いカブトの写真があった。紙帯をやぶる指が、ノノウの目には他人のもののようにうつった。どこか現実離れした心地で、二枚めを見る。これもあの子のもの。一枚めよりも成長してはいるものの、まだ頬はまるく、おとこともおんなともつかないようなやわらかい顔をしている。三枚め、四枚め……
 写真を繰るノノウの手が震えはじめる。写真はすべてカブトをうつしたものだ。だというのに、いま繰っているカブトの写真のほとんどに、ノノウは見覚えがなかった。見たことのない写真だというだけではなく、顔立ちが、雰囲気がまるでちがう。別人だった。けれど、どう見たところで、カブトだ。ゆっくりと混乱しはじめる頭で、地面に落とされた、見覚えのあるカブトの写真に視線をやる。ノノウにとっては、何度も何度も脳にうつしとるように見続けた、いとしい"息子"の写真にほかならないはずだった。しかし、手にある写真を見てからは、それらは見知らぬ他人のように目にうつった。おそろしい予感に指先がふるえはじめ、心臓が吐き気をもよおすほどに激しく脈を打つ。ノノウはついに、最後の写真にたどり着き、息をのんだ。
 それは、任務まえに渡された、二重スパイの写真だった。
「ほら、"マザー"、お探しの子はここよ」
 最後の写真を穴が開くほどに見つめ、歯を鳴らしてふるえているノノウへ、声が降った。月光を背に大蛇丸が立っている。その腕には、血まみれの少年が力なくからだをあずけていた。ノノウは悲鳴を上げてすがりついた。大蛇丸はあらがわずにかがんで腕のなかの少年を地面へ横たえた。少年の半分開かれた目はうつろで、頬にもくちびるにも血の気がなく、あちこちにこびりついた血だけが黒ずんで見えるほど赤い。少年はたしかにカブトだった。しろがねの髪、幼げな顔立ち、ノノウが与えた古ぼけためがね、ノノウが取り戻したいと願い続けた"息子"、かつて笑って"家"を去ったあのカブトだった。ノノウはふるえもつれる手と指を叱咤して印を組む。ふさがりかけた傷口に光をはなつ手のひらを押し付ける。
「カブト、どうして、どうしてアナタが、こんなところに」
 無意味な問いをかさねる声はふるえ、歯の鳴る音が混じった。どうして。そんな問いはもはや意味をなさない。ここにあるのは、ノノウがカブトを救うためと信じて殺そうとした相手が、そのカブトだったという理解しがたい事実だけだった。
 いまノノウが、カブトが、大蛇丸が属している組織"根"の常套手段。家族や親しいものたちに与える写真をよく似た他人のものにすり替え、年月をかけてすこしずつ成り代わる。間者として長期潜入する場合に、用いる方法だった。その標的になったのだと、ノノウはどこか遠いところで理解した。
 大蛇丸の声が静かに落ちる。
「この子がアナタのもとを離れるときにはすでに、アナタとこの子を殺し合わせることは決まっていたのよ」
 ノノウははじかれたように顔を上げた。目を見開いて大蛇丸を見る。さきほどまでの笑みはなりをひそめ、冷徹な、さげすむような目がノノウを見下ろしていた。
 はじめから決まっていたというなら、決めたのは"根"の長であるダンゾウだ。信じられなかった。彼が冷徹だということは身に染みて知っている、木ノ葉のためであれば、ときに手段を択ばぬことも。しかし、孤児として"根"で育ったノノウにとっては、ダンゾウはひどく厳しくてとびきり気むずかしい"父"のような存在だった。ノノウは"根"を抜けるまで、"子"としてダンゾウに尽くしたし、カブトのことでまた"根"に戻ってからも、以前と変わらず"根"のために働いた。
 考えられる理由があるとするなら――
「わたしが"根"を抜けたことへの、これは制裁なのですか」
 カブトがほんとうに二重スパイだった、という可能性も考えた。しかし、それでは大蛇丸の言う、はじめから決まっていたということの説明がつかない。カブトは"家"にいたときから才能ゆたかな子どもだったが、それでもただの子どもで、二重スパイでなどあるはずがなかった。だとすれば、ノノウに考えられる筋書きはひとつしかない。
 ダンゾウが、ノノウが"根"を抜けたことに対する罰を、いまさらに、こんなにも残酷なやりくちでくだしてきた、そうとしか思われなかった。
 うつむいたノノウの、とめどなくあふれる涙がめがねのレンズにたまって、横たわったカブトの姿がゆがむ。ノノウが注ぎ込むチャクラで傷は癒えていくが、あまりに血を失いすぎている。もう遅いと、助からないと、浮かぶたびに打ち消す。"家"のために、"家族"のために犠牲になることを選んだカブトが、ノノウのせいで、ノノウの手で切り裂かれて死んでいく。そんなことはあってはならない。
「それはちがうわね」
 大蛇丸が告げた。ノノウが反応する間もなく、続ける。
「アナタたちはただ、優秀すぎて、知りすぎたのよ」
 瞬間、目の裏側から暗やみが噴き出し、視界を覆うような錯覚をおぼえた。どこか高いところから突き落とされたような失墜。優秀すぎた。知りすぎた。そんなことのために、ダンゾウはノノウをあざむき、消そうとした。そんなことのために、カブトはいま死のうとしている。
「そんな、そんなことで」
「あのもうろく爺には、そんなことだけで十分だったんでしょう。アナタたちがいずれ裏切るかもしれないという、可能性だけで」
 ノノウはあの日、どんなことをしてでも、カブトを行かせるべきではなかったのだ。すべてはあのとき決まってしまった。カブトの嘘に気づかず、みすみす行かせてしまったあのときに。
「ま、ザー……?」
 記憶にある高く甘い子どもの声ではなく、声変りを終えたやや低い声が、ノノウを呼んだ。にじむ視界のなかで、色のないくちびるがわななくのが見えた。どれほどこの声をききたいと望んだことだろう。けれど、
「カブト、しゃべらないで」
 ノノウはしかりつけるようにしてカブトを制した。重傷者が、ふいに意識をとりもどすことは、そうまれではない。どれほど体力を使いつくし、手のほどこしようがなかったとしても。それはろうそくの炎が、最後にひときわ明るく燃えるのに似ている。たいてい彼らは、言葉をいくつかくちにして、そのまま命を落とす。ノノウはなんどもそんな場面を見てきた。だから、これ以上カブトになにかくちにしてほしくなかった。
 しかし、カブトはなおも言葉を継いだ。
「どう、して、ここに……どうして、ぼくを」
 かすれた声でそう問いかけてくる。ノノウは耳をふさぎたかった。すべてはあのとき決まった? ちがう。岐路はあの日だけではなく、ほんの数分まえにもあったのだ。ノノウがカブトに気づいてさえいれば、こんなことにはならなかった。あの一瞬の交錯、カブトがチャクラメスをその手からかき消したのは、ノノウに気づいたからにちがいなかった。ノノウもそうできていれば。
「お願いだからしゃべらないで! このままじゃ」
 死んでしまう、その言葉は飲みこみ、ノノウは注ぎ込むチャクラをさらに増した。細胞のひとつひとつがきしみ、悲鳴をあげる。そんなことは何でもない、できるならこのまま、どんなに苦痛をともなったとしても、命を注ぎ込んでやりたかった。
「……ちが、う」
 よわよわしく顔をしかめたカブトのまなじりから、涙が滴った。赤く染まりながら血まみれの肌の上を転がり、地面に吸い込まれていく。ゆらりと手が持ち上がり、傷口に押し当てたノノウの手首をつかむ。氷のようにつめたい手のひらだった。かすかなちからがこもって、押しのけようとしているのだとわかった。やめて、カブト。ノノウはそう言いかけて、けれどカブトが言葉を発するほうが早かった。
「まざ、は、ぼくを……わすれ、たり、……しない」
 呆然とするノノウの手を、なおも退けようとするかすかなちからが、少しずつ弱まっていく。やがて手はすべり落ちた。ノノウは首を振った。めがねにたまっていた涙がこぼれ、カブトにかかる。
「ゆるして、ゆるしてカブト、アナタを助けたかった」
 ノノウの懇願も、涙も、もはやカブトには届かないようだった。茫漠とした表情の空虚さは、そのままカブトの絶望の深さをあらわしている。くちびるが震えるように動いたが、ついに言葉になることはなく、やがてその目からふつりと光がかき消えた。ほとんど同時に、注ぎ込むチャクラに対する抵抗が消える。カブトのチャクラが失われたのだ。ノノウはこの感覚を知っている。戦場でなんどもなんども、この感覚を味わったことがある。これは、医療忍者がなによりも厭う、死の手ざわりだ。
 死なせてしまった、いや、殺してしまったのだ。手を下したのはたしかにノノウだった。肉にもぐりこみ内臓を断ち切った感触は、なまなましく手に残っている。すっかりくちを閉じた傷のうえで、ノノウは手を握りしめる。泣く資格などないのに、涙はあふれて落ちた。
 大蛇丸の白い手が、拍動をさぐるようにカブトの首に絡みつく。さわらないで、ノノウはそう叫びたかった。さわらないで、わたしの子どもよ。わたしがこの手で殺した、わたしの息子よ。
「もたなかったわね」
 手慰みのようにまだ乾かない血をぬぐいながら、大蛇丸はそう告げた。そうして、笑みをふくんだまなざしをノノウに向けた。微笑んで、言った。
「助けてほしい?」
 ノノウは鋭く息をのみ、ついで歯を食いしばった。絞り出すように、「いまさら、」とうめく。大蛇丸がノノウたちを助けたいというなら、もっとまえに、できることがあったはずだ。彼は、すべてを知っていたのだから、それを教えてくれるだけでよかった。根本的な解決にはならなくとも、互いに殺し合うことはせずにすんだ。その機を見過ごしておいて、いまさら、なにを助けるというのか。とめどない涙でにじむ目で、ノノウは大蛇丸をにらむ。
 蛇のように素早く伸びて来た手に、肩のあたりの髪を引っ張られ、ノノウは体勢をくずした。とっさに、カブトの傷口に乗せていた手をわきによけた。耳もとにつめたい呼気の気配がある。なにをと、ノノウが声をあげるまえに、大蛇丸がささやいた。
「おまえの愛した"息子"を蘇らせてあげるわ……私の開発した禁術でね」
 ノノウが感じたのは、生と死に関する倫理観に根差す、あいまいな忌避感と、それを塗りつぶすほどに大きな期待だった。ノノウは暗部の"根"、禁術を行使することに関する忌避感は薄い。だまされ、操られ、絶望のなかで死なせてしまった、哀れないとしい"息子"を蘇らせる。もういちど、やりなおせる。すべてではなくとも、ほんのすこしであったとしても。それは抗いがたいほどに甘い、誘惑だった。
「あなたに、できるの」
 発したことばはすでに疑問のいろすらなく、ただの確認でしかなかった。大蛇丸は顔を引き、頬が裂けそうなほどの笑みを浮かべた。ノノウの胸を、おそろしく昏い喜びが満たした。
「わたしの尊敬する、二代目火影さまの術をもとにしたものよ。かれは蘇らせた死者に、完全な生前の再現をもとめなかった。かれにとって死者は、意のままに動く、忠実な駒でありさえすればよかったのね」
 つぶやきながら大蛇丸は、物入れから巻物を引き出し、封をはずしずろりと広げる。複雑な口寄せの術式が記されていることだけは、ノノウにもわかった。しかし、複雑に過ぎて、それがいったいなにを口寄せするものであるのか、理解はできなかった。
「けれどわたしは、完全を求めた。生前の完全な再現。そうでなければ、死者をよみがえらせる意味などあるかしら?」
 カブトの血でぬれたノノウの手を、大蛇丸はつかみ、術式の真ん中に当てさせた。べっとりと血がはりつく。その巻物を大蛇丸が地に落としたとき、ノノウは口を開いた。
「あなたはわたしに、どんな代償を求めるの」
 これだけの取引に、大蛇丸がなんの要求も考えていないとは思えない。慈善で活動するようなおとこではないのだ。ノノウはそれをよく知っていた。命でも、時間でも、持てるすべてをささげる覚悟はあった。"息子"を、カブトをあるべき場所に連れ帰るためになら、なにをも犠牲にしてみせると決めていた。
 大蛇丸の両手が、高く音を立てて組み合わされる。まるで祈りのように。術式は巻物を抜け出し、広がる。広く地面に、ノノウのもとに。
「よみがえった、おまえの"息子"よ」
 そのことばの意味をノノウが解するまえに、術式は作動した。塵芥は生あるものを飲み込み、命を喰らって、死者の血をよすがに魂を口寄せた。

***

 少年がまぶたを開くと、穢土転生体に特有の眼があらわれた。灰色に濁った結膜のなかに、黒い虹彩が浮かんでいる。それが一瞬、戸惑うようにさまよい、つぎの瞬間には周囲を警戒する素早さに変わった。大蛇丸はわらう。よく訓練されている。
「お目覚めね、カブト」
 跳ね上がるようにしてカブトは地面から身を起こした。そばに座っていた大蛇丸から距離を取りざま、手が腿のあたりで空を切る。一瞬動揺が走ったが、さらにつぎの場所へ手を伸ばす。しかしその手も空振りに終わる。困惑を浮かべながら、素手で構えをとる。警戒は当然だ。敵地で本名を呼ばれたなら、それはすべての露見と、徹底的な孤立を意味する。
「……あなたは」
 カブトがふいに大蛇丸に気づいてわずかに警戒を解く。まだ木ノ葉隠れの里にいたころ、大蛇丸は己が見いだし、ダンゾウに推薦したこの少年のことを、気にかけるようにしていた。卓抜したチャクラコントロール、頭脳の鋭さ、そして忠実さ。そして、それをそなえていながらの若さ。すべてが完璧だった。だから、己が、"根"の仲間である以上に味方なのだということを、強く印象付けるように心がけていた。
 すべてこのときのために。
「なぜあなたがここに……?」
 言いながら構えをとき、異変に気付いてカブトはうろたえた。いまのカブトが身に着けているのは、見慣れない奇妙な長衣だった。反射的に眼鏡をさぐって、それが目もとにただしくあることに、安堵して細く息を吐いた。
 大蛇丸はすでに、札を穢土転生体に仕込んで記憶をいじっておいた。かれらは同士討ちになり死んだと。だが、すべてを札に仕込むことはできない。だから、ここからは大蛇丸の舌が道具になる。もうすぐ少年は、己と"母"の死に気付く。
 かれのための物語はすでに用意してある。すべては大蛇丸が真理をきわめ、あまねく忍術をこの手にするため。そのためならば、大蛇丸は、なにをも犠牲にしてみせると決めていた。