いつも月夜に米の飯
生活から喇叭が消えても、二十年を過ごした軍隊生活が消えるわけではない。朝は五時に目を覚まし、服を着替え、布団をたたんで、部屋の掃除をする。畳を掃き清めて窓を拭き、数少ない持ち物の整理整頓をすませたあと、階下に降りて台所をつかう。かまどに火を入れ、自分と大家家族のぶんの米をまとめて炊いた。握り飯をつくり、飯をどんぶりに盛る。あとは大家家族のぶんとして、用意されている小櫃におさめた。夕べの残りだろう味噌汁をもらい、どんぶりに入れた飯にかけてふたたび二階へあがった。
ひとりかきこむように飯を食ったあと、出かける準備をはじめる。握り飯を風呂敷に包んで腰に巻き付け、草履のひもを脚に縛って外へ出る。あたりはまだ暗く、水平線からうっすらと弱弱しい陽光が漏れ出るように光っている。
鶴見がこの海に消えてからもう六年になった。
除隊後は函館に住むと告げたときの、鯉登のこわばった顔を思い出す。六年。暗やみから鯉登に救い出されて六年、鯉登のために働いて六年、結局はここへ戻っていく姿を見て、いったいどう思っただろう。鯉登はただ、函館にある鯉登の邸宅へは気軽にたずねてくるようにと言っただけだった。鯉登は金塊争奪戦が終結したあと、すぐに結婚した。父親が海に没し、若き家長となった鯉登には当然の決断だっただろう。邸宅には鯉登の母と細君と、娘と息子がひとりずつ、住んでいる。どこまでも完璧で、幸福な家庭。月島はいまに至るまでその邸宅を私的にたずねたことはないし、これからもそうすることはない。
鶴見とともにあった十年、鶴見のために働いた十年あまりは、決して楽しいことばかりではなかったし、むしろその逆だった。奉天会戦での嘘と砲弾を経てからは、なおさらそうだ。それを忘れたわけでもないのに、ふと浮かび上がる記憶には、月島の心底の礎となってしまったやさしいものがあって、ふれるたび月島は苦しかった。甘い嘘にころりと騙された若い自分が愚かで忌々しく感じ、この記憶まで嘘であってはとても生きてゆけないともだえ、どう考えたところでもうすべては終わってしまったとあきらめ、しかし彼の死を証するだけのものを得ていないことに目のまえが暗くなる。
彼の沈んだ海をさらうときだけ、あらゆる記憶から自由でいられた。まぶたを閉じると見える暗い水底で、彼は眠っている。あの列車で最後に見たときの姿からひとつも変わらず、黒い肋骨服、白い額あて、ただ目を閉じて、月島を待っている。月島は、捜しださなければならない。それがかなわないなら、そこへ行かなければならない。なにが真実で、なにが甘いだけの嘘だったのか、それを知らなければ、このやさしい記憶を抱えてとても生きられない。
月島は木船に乗って、沖へと漕ぎ出した。