いとしき母よ、見知らぬ父よ
尾形はしゃべり終えてため息をついた。これほどにながく、しかもだれかに向けてしゃべったことは、生まれてよりなかったことだった。己の胸のうちを明かしたことなどはいちどもなかった。隠そうと思っていたわけではない、相手がいなかっただけのことだ。話そうと思うだけの相手が。
頭が興奮していて、酔ったような心地だった。視界が揺れて、目のまえに座る鶴見の表情を読むことがむずかしい。しかし、いつものように微笑んでこそいなかったが、その顔に受容のいろが浮かんでいることだけはたしかだった。それでじゅうぶんなはずだ。
「こちらへ来なさい、百之助」
鶴見はひざのまえにあった膳をのけて、尾形を呼んだ。その名を、尾形に向かって呼ぶものは、ついぞいなかった。尾形は、立ち上がりもせず、畳のうえをいざって、そのくせ恐るおそる、鶴見のそばに寄った。そうして鶴見の手が伸びて、肩と頭にそれぞれ手を置かれ、ゆっくりと慰撫された。
「百之助、たったひとりきりで、よく頑張ったな。さぞ困難な道のりだっただろう」
そっと促され、鶴見の肩口に額をあずける。尾形は知らず強張っていたからだから、ちからが抜けてゆくのを感じた。ぐにゃりと芯をなくしたからだを、赤んぼうをそうするようにしてゆすり上げて、鶴見がささやく。
「おまえは、おまえにできるすべてのことをした。そのうえ、余人にはできないようなことまでしてのけたのだ。百之助、おまえは母のもとから独力で巣立った」
額をあわせるようにして語りかけてくる鶴見の、抜けるような肌の白さと、ものやわらかな微笑みは、どこか、幼き日にひたすらに求めた母を思わせた。しかし、確信を持った声、抱き寄せる力強い腕は、幼いころいたずらに夢想した父とあまりによく似ていた。その両方をいちどきにそそがれて、尾形は奇妙な心地がする。あれほどほしかったものなのに。あれほど求め、あれほど尽くし、そのためだけに生きて来たのに。
「百之助、私にはおまえが必要だ」
尾形は安堵のため息をついた。与えられるだけではなく、返さなければ、帳尻が合わない。尾形が鶴見を必要とするように、鶴見が尾形を必要としてくれるのはさいわいだった。そうでなければ、たとえ鶴見という存在が尾形のもとめるすべてであったとしても、尾形はそれを受け入れることができなかっただろう。
「自分などにできることがありましょうか」
「あるとも」
鶴見は唇の端をニイと引き上げる。
「おまえは、もうひとつの巣からも巣立たねばならん。どのようにすべきかは、おまえがいちばんよくわかっているだろう、百之助」
ああ、と尾形は思う。母のように慰撫し、父のように決断する。そしてすべてを親が幼子に対してするようにゆるし、受け容れ、傲岸なまでに行使する。このおとこが、このひとが。
このひとが、おれの求めるすべてであればいいのに。