TOADSTOOL

 エルヴィン・スミスは憂えていた。
 きょうは、つい先だって入団した新兵たちが、ウォール・ローゼ内の森で教練をおこなったと言う。報告によれば、今期の新兵は立体機動術にすぐれた者が多く、即戦力となりうる人材もいるとのことだった。新兵をふくめた全調査兵による大がかりな壁外調査を控えている現在、じつにたのもしく、また喜ばしいことだ。エルヴィンの憂いは、むろんそこにはない。
 報告は、それだけではなかった。新兵の教練をおこなった古参の調査兵は、エルヴィンにこう告げた。

 そうだ、新兵の中に鼻がきくのがいまして、いい収穫になりました。団長、夕めしは期待してください。

 エルヴィンはとてつもなく嫌な予感をおぼえた。新兵が教練をおこなったのは森だ。エルヴィンも場所を知っているが、あの森は、非常にゆたかで、近くの村の者がときおり訪れては、木の実やら野草やらを採集しているときく。いまの季節ならば、と考えて、エルヴィンは思考を止めた。考えたところで無駄だったからだ。


***


 食堂まえには、メニューが書かれた黒板が置いてある。かわいらしい字で書かれた夕食の内容は、おそらく厨房をあずかる料理人たちではなく、持ちまわりで調理手伝いをおこなう兵士のうちの、女性が書いたものだろうと察せられた。そこにはこう書かれていた。ライ麦パン。じゃがいものスープ。ちしゃのサラダ。そして、鶏のソテーのきのこソースがけ、と。
 きのこ。
 その字を見つけ、自分の予想があたっていたことをさとったとき、エルヴィンは部屋に帰り、簡易兵糧でもかじりながら、仕事を続けようかとすら考えた。しかし、そんなことをすれば、「団長がまた仕事に没頭して食事を忘れている」と団員が心配して、執務室まで食事を運んできかねない。それを、まさか、「いや、食べたくなかったんだ」などと言って拒むわけにもいかないし、なにかとくべつな事由があるわけでもないのに、出された食事をのこすなどというのは言語道断だった。
 そう、エルヴィン・スミスはきのこが嫌いだ。
 あのぐにぐにした独特の感触だとか、においだとかが、たまらなく嫌いだ。しかし、調査兵は立体機動術の訓練のため、森に行く機会が多く、その際にはたいがい食料採集も同時におこなわれる。そのため、きのこは調査兵団の食卓にひんぱんにあらわれるのだ。炒められていたり、スープに入っていたり、今回のように、ソースになっていたりとじつにさまざまだが、きのこはきのこだ。どうなっていようと、エルヴィンはきのこが嫌いだ。
 非常にめずらしく、魚ではなく肉が夕食のメインだというのに、ソースがきのこか。
 心底落胆していたが、食事ごときで一喜一憂しているなどと思われたくはない。つとめて平静をよそおって、エルヴィンは、食堂へ脚を踏み入れた。

 木製の盆を手にとり、食事の列にならぶ。パンを取り、サラダやスープをもらうあいだにも、エルヴィンは、きのこのにおいを感じていた。気がめいる。まえにならぶ団員たちは、ひさしぶりの肉料理にやや浮き立っており、給仕をしている団員に、おれにはでかい肉をくれよなどと言って笑っていた。言われた団員は、こまったような顔をしてどれもおなじですよと答えながら肉を皿によそい、隣の団員がいやでもやっぱり大小はあるぜと真剣に答えながらたっぷりときのこの入ったソースをかけてせっかくの肉を台なしにしている。
 いや、彼らはあたりまえに給仕をしているだけで、肉を台なしにしているわけではない。そもそも、きのこのソースをかけられたからといって、肉が台なしになっているわけではない。単にエルヴィンがそう感じると言うだけの話だ。
 ついにエルヴィンの肉が台なしになる番が来た。エルヴィンがカウンター越しに前に立つと、肉を給仕していた団員、アルミンがエルヴィン団長お疲れさまです、と声をかけてきた。
「きみたちこそご苦労だな、空腹のまま給仕はつらいだろう」
 調理助手は、みなが食事を終えてから食事をとることになる。そのあいだ、食べものに囲まれ、においをかぎながら給仕をしなければならない。食べざかりの新兵たちにはなかなかこたえる仕事だ。アルミンは少し笑った。
「実を言うと、ひときれくらいつまみたくなっています」
「それはいい。人が切れたら――」
「あっ!」
 試してみたらどうだ、と続くはずだった言葉は、みじかい叫び声でさえぎられた。きのこのソースで、いままさにエルヴィンの肉を台なしにしようとしていた、コニーが発した叫びだった。
「やべえ、忘れるとこだったぜ!」
 やや面食らっているエルヴィンをよそに、コニーは手もとからちいさな木製のボウルを取り出して、どんと置き、そうして、こう言った。
「団長、きのこ嫌いなんですよね!? 安心してください、ソースべつにあるんで!」
 巨人に頭を殴られた気分だった。
 じっさい、そうされたなら、エルヴィンの頭はちぎれとぶか、首と同化して生きてはいないはずだ。一瞬、血迷って、そうなってもかまわないかもしれないとすら考えた。まさかそんなわけにはいかないとわかってはいたが、しかし、得意げなコニーと、コニーをみるアルミンの「言いやがったこいつ」とありありと語る驚愕の表情とは、エルヴィンに正常な思考をゆるさなかった。
 完全に、完璧に、隠しているつもりだった。だというのに、この歳にもなって、食べものの好き嫌いがあるなど、しかもそれが「きのこ」だなどという、すこぶる幼稚な事実を、まさか、古参兵士ならばともかく、調査兵団に入団して日の浅い新兵に見抜かれてしまった。
「エルヴィン団長、どうかしたんですか?」
 コニーは、いぶかしげにエルヴィンをみあげる。否定すればいいのだろうか。いやわたしはきのこが大好きだどんとかけてくれとでも言えばいいのだろうか。誤解させてすまない、だとか。しかし、それは、自分のくだらない好き嫌いのために新兵に気を使わせ、自分のくだらない矜持のために新兵の気遣いを無にするという、身勝手きわまりない選択だ。
「……ありがとう、コニー、アルミン」
 エルヴィンがしぼりだした言葉に、ぱっと笑顔になったコニーは、エルヴィンの皿の肉にきのこなしのソースをたっぷりとかけてくれた。アルミンはこわばった表情で、いえ、たいしたことでは、ともごもごと言っている。エルヴィンは立体機動を用いてでも、すぐにその場から消えたかったが、パンと、スープと、サラダ、そして台なしにならなかった肉をのせた盆を持って、いつもどおりに歩き、いつもどおりの席に座った。もそもそと食べはじめる。
 きのこなしのソースがかかった肉は、じつにおいしく、そのことに強い敗北感をおぼえ、エルヴィンはぐったりした。